お詫びと訂正

『映画「信虎」の世界』 で掲載もれがありましたのでお知らせします。 (2021年12月4日)

『映画「信虎」の世界』において、付録として収録した『信虎』台本(P183~307)に掲載もれのページがありました。掲載がもれたのは、下記の2ページです。台本のページ数で94ページと97ページです(本書のページ数では本来278ページと281ページに入るべきもの)。確認不足をお詫び申し上げます。

該当ページは下記よりダウンロードでご覧いただけます(印刷も可能です)。
『徳川家康・秀忠の甲冑と刀剣』で、誤った記述や不適切な表現がありました。
関係各位にお詫び申し上げますとともに、以下の通り訂正いたします。
該当箇所 甲冑・刀剣の名称 表題
口絵6頁、
本文15頁
左から3行目
白檀塗南蛮胴具足 月輪前立南蛮兜付 (個人蔵・徳川美術館寄託) (個人蔵)
本文17頁
左から7行目
寄託先が豊田市郷土資料館から徳川美術館に変わってからは、展示では排除されている。 左の記述は事実関係が確認できず、また開示すべき情報でないため全文を削除。
本文92頁
左から4行目
太刀 無銘 伝三池太光世(ソハヤノツルキ) 今川家の一族・御宿越前守政友 今川家の家臣・御宿越前守政友
本文92頁
左から3行目
結城秀康に一万石で召し抱えられ 結城秀康に召し抱えられ
本文112頁
5行目
刀 号「分部志津」無銘 兼氏 (個人蔵・徳川美術館寄託) (個人蔵)
本文116頁
3行目
太刀 号「兵庫守家」 銘「備前国長船住守家」 大坂落城後、研ぎ直しをせずそのままの姿で伝えられたもの 織田信長の家臣、丸毛兵庫頭長照の所持による号
本文120頁
左から4行目
短刀 号「包丁藤四郎」 銘「吉光」 重文 重美
本文120頁
左から1行目
足利家に伝来 俗説に足利将軍家伝来とあるが文献では確認できない。
本文125頁
3行目
太刀 大左文字 豊臣秀吉-豊臣秀次-豊臣秀頼と伝わったもの 徳川家康から豊臣秀頼に贈られ、大坂の陣の後徳川家に戻ったもの
本文126頁
左から2行目
刀 号「鳥居正宗」 銘「正宗」 鳥居元忠(中略)かその一族の者が持っていて、家康に献上された正宗の刀ということであろう。 銘の上に鳥居の形が彫られていることによる号。ただし磨上げであり、銘も後代に切られたものと考えられる
本文127頁
5行目
刀 号「吉見左文字」 銘「左文字吉見正頼研上之 永禄九年八月吉日」 その関係から毛利輝元の所有となって家康に献上されている その後、徳川家に伝わったがその経緯はよくわからない。
本文127頁
左から3行目
刀 銘「村正」 「潰物になる筈。疵物にて用に相立ちがたき部類に入置く事」 「潰物になる筈」「疵物にて御用に相立ちがたく候」
本文130頁
3行目
脇指 号「鯰尾藤四郎」 銘「吉光」 (前略)-土方勝久(後略)と伝来した。 「-土方勝久」を削除
本文131頁
3行目
三家老を、土方勝久に命じてこの脇指を与えて斬らせた 家老の岡田重孝を本刀で刺殺したともいわれる
本文131頁
左から7行目
短刀 号「海老名小鍛冶」 銘「宗近」 三好長慶-足利義輝-織田信長-織田秀信(後略)と伝来した。 足利将軍家-豊臣秀吉-徳川家康と伝来した。
本文133頁
左から1行目
短刀 号「大坂長銘正宗」 銘「相州住正宗 嘉暦三年八月日」 細川幽斎-豊臣秀吉(後略)と伝わった 『享保名物帳』には「(細川)幽斎老所持秀吉公へ上る」とある
本文135頁
左から3行目
短刀 無銘 則重 子の至鎮と徳川家康養女の縁組の時に献上された。 のち徳川家康に献上された
本文153頁
左から4行目
太刀 銘「久国(花押)」 国宝表記なし 国宝
(個人蔵) (文化庁蔵)
本文217頁
5行目
あとがき 刀剣類はあまりにも多く、大きな樽に油を湛えて大量の刀を吊るして保管している。 刀剣類は非常に多いが、厳重に管理されており、これまで研ぎに出されたものはない。

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