お詫びと訂正
『映画「信虎」の世界』 で掲載もれがありましたのでお知らせします。 (2021年12月4日)
該当箇所 | 甲冑・刀剣の名称 表題 | 誤 | 正 |
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口絵6頁、 本文15頁 左から3行目 |
白檀塗南蛮胴具足 月輪前立南蛮兜付 | (個人蔵・徳川美術館寄託) | (個人蔵) |
本文17頁 左から7行目 |
寄託先が豊田市郷土資料館から徳川美術館に変わってからは、展示では排除されている。 | 左の記述は事実関係が確認できず、また開示すべき情報でないため全文を削除。 | |
本文92頁 左から4行目 |
太刀 無銘 伝三池太光世(ソハヤノツルキ) | 今川家の一族・御宿越前守政友 | 今川家の家臣・御宿越前守政友 |
本文92頁 左から3行目 |
結城秀康に一万石で召し抱えられ | 結城秀康に召し抱えられ | |
本文112頁 5行目 |
刀 号「分部志津」無銘 兼氏 | (個人蔵・徳川美術館寄託) | (個人蔵) |
本文116頁 3行目 |
太刀 号「兵庫守家」 銘「備前国長船住守家」 | 大坂落城後、研ぎ直しをせずそのままの姿で伝えられたもの | 織田信長の家臣、丸毛兵庫頭長照の所持による号 |
本文120頁 左から4行目 |
短刀 号「包丁藤四郎」 銘「吉光」 | 重文 | 重美 |
本文120頁 左から1行目 |
足利家に伝来 | 俗説に足利将軍家伝来とあるが文献では確認できない。 | |
本文125頁 3行目 |
太刀 大左文字 | 豊臣秀吉-豊臣秀次-豊臣秀頼と伝わったもの | 徳川家康から豊臣秀頼に贈られ、大坂の陣の後徳川家に戻ったもの |
本文126頁 左から2行目 |
刀 号「鳥居正宗」 銘「正宗」 | 鳥居元忠(中略)かその一族の者が持っていて、家康に献上された正宗の刀ということであろう。 | 銘の上に鳥居の形が彫られていることによる号。ただし磨上げであり、銘も後代に切られたものと考えられる |
本文127頁 5行目 |
刀 号「吉見左文字」 銘「左文字吉見正頼研上之 永禄九年八月吉日」 | その関係から毛利輝元の所有となって家康に献上されている | その後、徳川家に伝わったがその経緯はよくわからない。 |
本文127頁 左から3行目 |
刀 銘「村正」 | 「潰物になる筈。疵物にて用に相立ちがたき部類に入置く事」 | 「潰物になる筈」「疵物にて御用に相立ちがたく候」 |
本文130頁 3行目 |
脇指 号「鯰尾藤四郎」 銘「吉光」 | (前略)-土方勝久(後略)と伝来した。 | 「-土方勝久」を削除 |
本文131頁 3行目 |
三家老を、土方勝久に命じてこの脇指を与えて斬らせた | 家老の岡田重孝を本刀で刺殺したともいわれる | |
本文131頁 左から7行目 |
短刀 号「海老名小鍛冶」 銘「宗近」 | 三好長慶-足利義輝-織田信長-織田秀信(後略)と伝来した。 | 足利将軍家-豊臣秀吉-徳川家康と伝来した。 |
本文133頁 左から1行目 |
短刀 号「大坂長銘正宗」 銘「相州住正宗 嘉暦三年八月日」 | 細川幽斎-豊臣秀吉(後略)と伝わった | 『享保名物帳』には「(細川)幽斎老所持秀吉公へ上る」とある |
本文135頁 左から3行目 |
短刀 無銘 則重 | 子の至鎮と徳川家康養女の縁組の時に献上された。 | のち徳川家康に献上された |
本文153頁 左から4行目 |
太刀 銘「久国(花押)」 | 国宝表記なし | 国宝 |
(個人蔵) | (文化庁蔵) | ||
本文217頁 5行目 |
あとがき | 刀剣類はあまりにも多く、大きな樽に油を湛えて大量の刀を吊るして保管している。 | 刀剣類は非常に多いが、厳重に管理されており、これまで研ぎに出されたものはない。 |