網島貞男 著
人の運命をつかさどる星まわりを運星という。
その最高・最強の星である吉凶神殺の特殊星「天徳貴人」として、
5万人に1人の確率で出生した97歳の阿房太郎の、
戦前・戦中・戦後から現在までの人生行路。
【内容】
第1章
戦前・戦中 ―天徳貴人の神通力の変遷(その一)
阿房太郎の出生
社会人となった阿房太郎
陸軍各務原教育隊入隊
その頃の阿房家の生活状況
他
第2章
終戦 ―天徳貴人の神通力の変遷(その二)
同志社工業専門学校
戦後の日本社会の経済状態
太郎の英会話練習
太郎の研究
他
第3章
米国留学 ―天徳貴人の神通力の変遷(その三)
米国留学
フロリダ大学にスタッフメンバーとして就任
太郎が肌で感じた日米の工業技術差
太郎の米国滞在中の経験
他
第4章
米国より帰国後の研究活動 ―天徳貴人の神通力の変遷(その四)
外国の大学生との学生交流
ブラジル出張
メキシコ市訪問
台湾大学からの招聘受諾
他
第5章
退職後の状況 ―天徳貴人の神通力の変遷(その五)
定年退職
勲三等瑞宝章受賞
太郎経営の会社倒産
天徳貴人の終焉
稀有な星のもとにうまれたもう一人の事例
【付録】同志社大学理工学部の濫觴
【著者】
網島 貞男 (あみじま さだお)
大正10年(1921) 兵庫県白浜村(現・姫路市)生まれ。
昭和17年(1942) 旧制第三高等学校から京都帝国大学工学部機械工学科入学。
昭和19年(1943) 戦時体制にともない京都帝国大学を9月に繰り上げ卒業。同年10月、川崎航空機工業株式会社(現・川崎重工業)入社。明石工場に配属。
昭和20年(1945) 2月に陸軍航空本部各務原教育隊に予備士官候補生として軍曹で入隊。同年4月に見習士官、6月に陸軍航空技術中尉として任官。終戦にともない除隊。川崎航空機工業株式会社を9月に退社。同年10月、前年に開校した同志社工業専門学校に助教授として採用される。
昭和24年(1949) 学制改革により工専が大学工学部に昇格、助教授となる。
昭和31年(1956) 同志社大学工学部機械工学科教授。
昭和32年(1957) 「ゴムベルト式無段変速機の研究」で京都大学より工学博士の学位授与。
昭和35年(1960) 渡米。フロリダ大学でロケットの力学に関する共同研究をおこなう。
昭和57年(1982) 台湾政府招聘の客員教授として、国立台湾大学で講義をおこなう。
平成4年(1992) 同志社大学を定年退職。名誉教授。
平成9年(1997) 勲三等瑞宝章受章。
A5判 並製 343頁 定価1,800円+税