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「地方史研究」第425号
『輝資卿記』は、織豊期・江戸初期の公家、日野輝資(1555~1623)の日記。 輝資は天正15年(1587)に正二位 権大納言に任ぜられ、慶長八年(1603)に官を辞し、その後は家康・秀忠に仕え、出家して唯心と号した。家康の側近僧としては、以心崇伝・天海に次ぐ地位で、禁中並公家諸法度の編纂に加わった。 弟には武家伝奏として権勢をふるった広橋兼勝がいる。
『輝資卿記』は東京大学史料編纂所蔵の謄写本四冊が、唯一の伝本である。しかし、難読箇所が多く、原本の推敲の跡に、校合の跡が混在して読みにくい本文となっている。本書では、校合の跡を丹念にたどり、推敲の跡を区別して本文を校訂し、原本の復元を試みた。
本書の内容は、慶長十年から十六年にかけての日野輝資の消息の案文や日記を翻刻したものである。 退官後の記録なので私的な記事を中心とするが、公家や豊臣秀頼・徳川家康とその家臣たち、寺社、町衆らと贈答を通じた広範囲にわたる交流が把握できる。 京・伏見・大坂を舞台に連歌・茶会を通した連衆との活動が目を引く一方、妻をはじめ家族の身を気遣う深い愛情も伝わり、当時の公家社会の多様な側面が浮き彫りとなる。 また、病や薬の処方の知見を記載し、社会史や医学史の側面からも有用な史料である。 『輝資卿記』関係系図、人名索引を付す。
〔雅継卿記〕
飛鳥井雅継(一五六九~一六一六)の日記。 雅継は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿・歌人。 官位は従二位・権大納言。 飛鳥井家十三代当主。後年、雅庸と改名。 教養人で、古今伝授や入木道(書道)の伝授を受けた。
『雅継卿記』は雅継の天正十四年正月・十五年正月~三月の日記である。 唯一の伝本である東京大学史料編纂所所蔵の謄写本を翻刻した。天正十八年(一五九〇)、後陽成天皇の勅使として、広橋兼勝とともに小田原城包囲中の豊臣秀吉を慰問、秀吉の吉野花見や高野山参詣にも従った。 また徳川家康に『源氏物語』の奥義を伝授し、後水尾天皇・徳川秀忠らに蹴鞠を指導するなど諸芸に秀でた。 子に猪熊事件に連座した雅賢、難波宗勝がいる。
【著者略歴】
田中暁龍(たなか・としたつ)
1961年、東京都品川区生まれ。東京学芸大学大学院教育学研究科社会科教育専攻修了。 博士(史学)。 近世の幕府と朝廷と関係を中心に、近世の公家社会についての研究を専門とする。現在、桜美林大学リベラルアーツ学群教授。近世の主著に『近世前期朝幕関係の研究』(吉川弘文館、2011年)、『近世朝廷の法制と秩序』(山川出版社、2012年)、『近世の公家社会と幕府』(吉川弘文館、2020年)などがある。
A5判 上製・箱入 416頁