熊谷 元一 白寿記念写真集
私は今年、平成20年7月で99歳になる。
いわゆる「白寿」ということになるが、白寿とはいえ、とくべつな感慨もないし、あらためて書き記すような心境の変化もない。よくここまで生き延びてきたというのが実感である。
おもえば99年という歳月は、明治、大正、昭和、平成の四つの時代の荒波をくぐりぬけてきた人生でもある。初めてカメラを手にしてから、74年の歳月が流れ、長野県下伊那郡阿智村にある「熊谷元一写真童画館」に収蔵されているネガだけでも5万点を超えている。
このたび、私の白寿記念ということで、その膨大なネガの中から選んだ昭和30年代の写真を中心に、写真集が刊行されることになった。ある意味で私の記念碑的な作品集になっていると思う。
写真の舞台は、私が生まれ育った故郷であり、小学校の教師を勤めていた下伊那の阿智村であるが、半世紀前の信州は、どこへ行っても同じような暮らしぶりと自然の風景があった。村や町が違っても、大人たちの仕事も子供の遊びも大同小異で大差はなく、のんびりとした田舎暮らしが基調になっていたように思う。ということは、本写真集が昭和30年代の信州人の、いわば「原像」や「原風景」を写しこんだ、いまでは貴重な記録ともいえるのではないだろうか。
本書「はじめに」冒頭より
過分な期待は抱かなかった。とにかく撮った写真を見てほしかったのだ。ところが、板垣先生は面白いと評価して、写真誌の編集長に紹介してくださった。たまたまその編集長が、信州・飯田の出身であるという偶然や幸運が重なり、話がトントン拍子に進んで写真集『會地村 一農村の写真記録』が朝日新聞社から出版される運びとなった。ズブの素人が撮った写真が本になったのである。昭和13年のことだ。
それはまさに、私にとって人生の一大転換期であった。
その後、昭和三十年に出版した『一年生 ある小学校教師の記録』(岩波書店)では、ありがたいことに第一回毎日写真賞をいただき、その他にも数々の写真集を出版することができた。また、平成2年に日本写真協会功労賞を受賞したほか、平成六年には文部大臣より地域文化功労者として表彰されるという光栄に浴した。
こうして今日まで写真をつづけてきたが、振り返ってみれば、初めてカメラを手にしてから74年という歳月が流れている。自分のことながら、よく撮りつづけたと思う。当時はお金にもならなかったが、撮ることが生きがいであり、私の使命でもあるという気持ちに衝き動かされていたような気がする。
撮影にはフィルム代をはじめ、交換レンズなどの機材費、現像費、印画紙代などの費用がかかる。だが、私はもともとタバコを吸わない。かつて「ゴールデンバット」が1箱7銭というときに、3箱吸ったつもりで毎日20銭前後の予算で撮影することにして、なんとか写真がつづけられたのである。
私が写真を撮るときに最も心掛けたのは、「ありのままを撮る」ということである。ありのままの表情、ありのままの自然な姿。それが、なによりも人間や物事の本質をいちばん鮮やかに写し取ってくれるのではないだろうか。
その意味でも、ここに収められた写真の数々は、「昭和」という時代の証言であり、「信州」という故郷の原風景といえるのである。
本書「あとがき」より
B5判/並製/148頁